『遺すために新しく』のコンセプトのもと覆い屋で社殿を保護するという新発想で改修
ニチハ
前橋東照宮を手掛けられた経緯について教えていただけますか。
吉岡
前橋東照宮が創建400年を迎えるにあたって、社殿を後世に残すことを目的に大改修を行うことになりました。 長い間、風雨にさらされて老朽化が進んでいましたので、どのような形で改修するのが最適なのか、何をどこまで残すのか、さまざまな方々と議論する中で、本殿はそのまま残すという結論になり、「遺すために新しく」というコンセプトのもと、本殿を「囲う」ことで後世に残すという現在の案に落ち着きました。
ニチハ
前橋東照宮は、いろんな変遷を辿って前橋に鎮座した神社らしいですね。
社殿の正面。拝殿にある2本の柱は、日光東照宮の杉を使用。
吉岡
江戸時代に川越で造営されたものが、前橋に鎮座したのは150年以上前の1871年(明治4年)とのことですが、創建そのものは江戸時代(1624年)らしいですからね。歴史のある建物であることは間違いないです。
ニチハ
本殿を「囲う」という方向が決まった後、建物自体については、紆余曲折はなかったのでしょうか。
吉岡
敷地全体の大きさは決まっているので、本殿の配置は概ね今ある位置に建てるしかありません。 本殿をまるまる納めるので、ある程度の高さが必要ということになり、大体の形状やボリュームなどが決まっていきました。前橋東照宮は創建400年の由緒のある建物には違いないのですが、市から重要文化財に指定されている建物ではありませんので、ある意味自由な発想で取り組めました。
ニチハ
前橋東照宮は覆屋の中に本殿を配置し、歴史ある本殿を保護しながら、幣殿と拝殿を新たに設けた斬新な社殿となっていますね。
夜の帷が降りた本殿。ガラス窓の奥ではライトアップされた本殿が浮かび上がる。
吉岡
コンクリートとミライア、木の軒天と異素材を組み合わせて、周囲とうまく調和できるよう意識しました。覆屋の中の本殿が映えるようなデザインを意識し、本殿のライトアップも考慮した上でデザインしています。
ニチハ
前橋東照宮は、歴史が古く、市民の方に親しまれた場所だからこそ配慮された部分もあったのではないですか。
楽歩堂前橋公園 公園内の主な施設
吉岡
前橋市民からすると、前橋東照宮は、七五三、結婚式、初詣など、節目の時には必ず訪れる場所です。しかもここは楽歩堂前橋公園の一角にあり、さちの池、臨江閣など前橋の名所がまとまっていて、桜の名所でもあります。 それこそ、私も若い頃、お花見の場所取りをしたぐらい身近な場所です。突然そこに出現する新しい建物をいかに周囲と違和感のないようにするかがテーマだったとも言えます。
ニチハ
本殿を建物の中に移動させる曳家を行ったそうですね。
吉岡
鉄骨を組み上げた時に本殿を納めてしまわないと、建てた後からでは難しくなってしまいますから。納まった時の土台も含めて高さを割り出し梁も高い位置に鉄骨を組み上げました。 下駄を組んで、曳家でジャッキアップして14メートルほど移動するのですが、最終的にそれを引き抜かなければならない。敷地に限りがあるので、何をどのタイミングで行うかが大切でした。